02. 窓のない建物




「あ……」

 ここだ。廊下で捕まえた看護士に聞いた通りの場所だった。
 病院の中でも病的な白さに包まれた扉。壁と扉の継ぎ目を排そうと、対岸の壁に顔を出した無数の光束管から光が散乱している。
 ドアノブが存在せず、取っ手も見当たらない。壁に溶けこんでいるとしか考えられない。
 唯一、この先が部屋だと主張できるのは、廊下に描かれた『院長室→』という記号のおかげである。
 とりあえず、扉をノックしようと軽く拳を握った。
 息を吸い込むと、妙な緊張感がみなぎった。フラグメントになる前。ちゃんとした学校にいた頃、職員室の前に立ったときと同じ感じだった。
 扉を叩こうと手首を前後に振った。
 そのとき、俺の拳から逃れるように扉が壁の中に消えた。わずかに聞えるモーター音が耳についた。
 室内も白一色。調度品のカラーも気持ち悪いぐらいに統一されている。
 ざっと周りを見回したが違和感がこびりついて離れない。

――そうだ、窓が無いんだ。

 天井に張り巡らされた光束管からあふれ出る光は、天然そのものだった。それにもかかわらず強烈な人工感によって支配されていた。
 部屋の真ん中に椅子があった。男が足を組んで座っていた。

「言われたとおり銃を取りに来たんだが……」

 落ち着かない声だった。壁と床の継ぎ目が消されているので、無限に広がる白い荒野に放り出されたような孤独な気分だった。
 そわそわする俺にようやく気づいたのか、男がゆっくりと顔を上げる。
 そして――

「君か」

 とだけ呟いた。

「お前!」

 鼻を引くつかせる仕草に覚えがあった。
 俺がここで初めて見た人間。名前は知らない。

「……お前が院長だったのか?」
「僕じゃないよ」

 彼はハハア、と呟いてから、おもむろに脇につるしてあった紙袋を取った。
 俺の目の前にある『らしい』机に中身を並べて見せた。机が光に溶けてしまい稜線の区別がつかなかった。
 新品同様に洗浄された銃と六つの弾倉。。

「俺のだな」
「『混沌』ことガジェット社のチルダ七十一。一応確認してもらいたい」

 促されるまま銃を手にとった。ずっしりとした重みに、わずかながら手が沈み込む。
 三分で分解し、五分で元に戻した。

「完璧だ」
「よかった。それと――」

 彼が椅子に深くもたれ込んだ。

「九ミリのハローポイントブレットを二箱、タロン一箱を用意したが、残念ながらアニマブレイクまでは手に入らなかったよ」

 淡々とした口調で告げた。アニマブレイクとは対フラグメント用の特殊弾丸である。

「仕方ない。アニマブレイクは大帝都でしか手に入らないんだ。しかし、お前……何でここまでしてくれるんだ」
「さっきも言ったけどお詫びだよ。コミュニティの代表を傷物にしてしまったことに対するお詫び」

――キズモノ。

 嫌な事を思い出した。

「まあ、人工アンデッドで良かったよ。本物だったらナノマシンが拒否反応を起こして神経細胞を破壊しているところだったからね」

 彼は首を振ってみせると、足を崩して立ちあがる。椅子の後ろにあるはずの引き出しから三つの箱を抱えて机の上に置いた。
 一度大きく肩が揺れた。足が不自由なのは明らかである。

「お前、足……」
「これ?」

 彼は事も無げに自分の足を指さした。

「無茶が祟って壊れてしまったんだよ。神経が焼き切れて思うように動かないんだ」

 寂しそうな声音だった。
 俺が銃をホルスターに収めるのを静かに見守っていた。装填済みの弾倉を身に着け、残った弾丸は箱詰めにして紙袋にしまった。
 白い紙袋は見た目に反して重く、ぶつけてしまわないように注意を払った。

「君も気をつけたまえ」

 部屋を出る瞬間、そう聞えた気がした。




[ 02. 窓のない建物 ]




 名雪につれられてカノンの南外れに位置する灰色市民街に入った。
 ストリートを歩けば、決して賑やかとは言えないけれど、商店があり様々な人々が行き交っている。
 彼らの顔は青天の元に晴れやかで、さらに南へ進むと露店が立ち並んでいる。
 それらは全て俺の食欲を刺激した。
 病院に担ぎ込まれてから退院するまで、点滴と医者から渡された錠剤を白湯で流し込んだだけにすぎない。
 つまり空腹なのである。
 露天にふらふら近づこうとすると名雪が手を引っ張って邪魔をする。

「なー、おい。ちょっとだけ、な?」
「だめ」

 事ある毎に、「あとで食べさせてあげる」とお預けを喰らっていた。
 名雪は応じるつもりがないらしい。
 なんて、気の利かない奴。
 仕方なく紙袋を揺らしながら、傍らにいる名雪と駄弁ることに専念した。

「病院食ぐらい食ってからでも良かったんじゃ。だいたい、どこに向かっているのか何にも説明してくれないじゃないか」
「言ってなかった? 灰雪館っていうオンボロアパートが行き先」
「アパート? 聞いてないぞ」
「うん。アパートには違いないんだよね。屍楼って言ったほうが正しいのかも」

 名雪が無邪気に言った。

「シロウ……何だそれ」

 俺は首を傾げて、明るい口調を努めて聞こうとは考えなかった。後で後悔するとも知らずに。
 露天を見かけなくなると、今度は鬱蒼と立ち並ぶアパート群が姿を現す。
 昨晩、俺がさまよった辺りと雰囲気が似ていた。にぎやかだったストリートが静けさに包まれている。
 どれだけ歩いたのだろうか。
 一ヶ所だけ生気の感じられない建物があった。ストリートに面し、日当たりも良い。
 まるで誰も住んでいないような雰囲気。
 奇妙なことに窓がひとつも存在しなかった。目を凝らしてみると後から塗り固めたらしく形跡があった。
 一階は茶色のタイル張り、二階から最上階まで灰色のコンクリートがむき出しになった方形の建築物。数段上がったところにある入り口は上品な木目模様に彩られている。斑模様に禿げた金メッキの把手には、黒い手形が張り付いていた。
 俺の気分は沈んでいた。

「ここだよ」

 段を上って名雪が言った。把手に手を添えると、手形がはみ出していた。
 昨晩の記憶がよみがえり、下半身にじわりと鈍痛がひろがった。背筋が震えて足がすくむ。

「……名雪。こんなところに、本当に、入るのか?」
「そうだよ」

 名雪が把手を回した。ギィ、と静粛且つ重厚な音を立てて扉が開いた。
 奥から仄かなジャスミンの香りとともに冷気が漂ってくる。昨晩はこんな匂いはしなかった。
 恐る恐る見上げると、否応なしに中の様子が目にはいった。
 薄暗く、延々と続く廊下に灰色の絨毯が敷き詰められている。
 木を張った壁には金魚鉢を逆さにしたようなランタン型のナトリウムランプが架かけられていた。

「今は昼間だもん。大丈夫……祐一、顔色悪いよ?」

 名雪が把手から手を離して側に寄ってきた。
 一瞬ためらった後、俺の手を強く握りしめていた。

「俺、やっぱり、いや……だめだ。無理だ」
「祐一。うじうじしてるのって、かっこ悪いよ〜」

 口ぶりからして、ここで俺が何をされたのか知らないようだ。

「行きたくない」
「わたしがついてるから大丈夫だよ」

 手を繋いだまま俺を引っ張る名雪。それ程力が強いわけではない。振りほどこうと思えばいつでも解くことができる。
 なのに、俺は、何ら抵抗を示さず灰雪館に足を踏みいれてしまった。
 芳香が増して鼻についたが、慣れるに連れて恐怖心がやわらいでいくような気がした。
 が、足下を流れる冷気に身を強張らせていた。冷たさが記憶と一致するのである。
 わざとらしく深呼吸をした。体の震えが激しさを増すばかりだった。

「なあ、引き返さないか」

 名雪の顔をのぞき込みながら言った。

「引き返そうぜ。身体の震えが止まらないんだよ」
「だめだよ。もう来てるから」

 俺をまっすぐ見返して静かに言った。
 ゆっくりと首を回して廊下の奥を凝視した。ランプが一つ、鬼火みたく宙を漂っている。
 そして、


 コツコツ


 と、
 何者かの足音が聞えてきた。

「……誰だ?」

 俺の警戒心が言葉を生んだ。
 足音の主は、問いかけを耳にして歩みを止めた。靴のかかとをぶつけて直立不動の姿勢で訪問者を見つめている。
 陰に融け込んだ半身。白い手袋。
 肩先が大きくふくらんだゴシック様式のドレスを着た女は、海碧色の瞳を見開いたまま瞬きすらしない。
 女の周囲だけ時間が止まってしまったかのようだ。
 すると俺たちに向けて手を伸ばした。裾からのぞいた手首は鈍い金色に光っていて、あまりにも細かった。

 ひとつ、

 ふたつ、

 みっつ。

 指を折った。
 まるで、
 ゼンマイを巻くときの、
 音。
 
 そこには能面だけがあった。


 光が消えた。
 突然、背後から大きな音がして驚いた俺たちは扉を振り返っていた。先程まで開いていたはずの扉が閉まっており、ひとりでに錠がおりていた。
 俺は錠を外そうとを取っ手を乱暴に揺すった。
 が、びくともしない。

「おい、外に誰かいるんだろ!? いるなら返事をしてくれ!」

 叫びながら扉を叩いたがなしのつぶて。俺の声だけが虚しく響いた。

「名雪、どうなってるんだよ」

 強く握りしめた拳を叩きつける。打撃音が建物中に反響する。
 ぼんやりとした橙色の灯りが足下を照らしていた。

「何が昼間だから大丈夫、だよ。全然そうじゃねえよ。くそっ、俺たち閉じこめられたんだぞ。この前と一緒じゃないか!」

 怒鳴っていた。
 脳内を駆けめぐる昨晩の体験。すぐにもあいつらが出てくるんじゃないか、と俺の内心は戦々恐々としていた。
 しかし名雪は取り乱したりせず、俺の顔色をじっと窺っていた。それも、きょとんとした様子で俺の間抜け面を見つめていたのだ。

「祐一」
「何だ」

 静かな声に、俺は乱暴な口調で反応していた。

「怖いものなんかいないよ。出てきたりしないよ」

 名雪はくるりと廊下の奥へ目を向ける。俺も恐る恐る視線を移したが、先程までいた女の姿が消失していた。

「あれ?」
「……消えた?」

 俺たちはそろって首を傾げていた。
 そして辺りを注意深く見渡す。扉が閉まったことで暗色に染まった通路の隅々まで、じっと目を凝らした。
 ネズミの駆けまわる音も、何の生活音も聞えない。息が詰まるほどに静かだった。

「なあ」

 ぼそ、と言ったはずなのに、自分の声がやけに大きく響いた。

「ここって、住人がいるんだよな」
「いるよ」
「どこにいるんだ? 何にも聞えないじゃないか」

 名雪は少し間を取ってから口を開く。

「地下にいるよ。上にいるのは死人だけ」

 横を向いて俺の目をまっすぐ見つめた。

「死っ……て」

 うめき声とともに、名雪の視線が、俺の隣に注がれる。そこには壁しかないはずだった。壁しか。

「じゃあ、さっきのゴシック女は何だったんだ」
「うん、死んでるよ」

 はっきりと返してきた。
 名雪はずっと、おれの隣を見つめている。

「おい。お前、どこを見てるんだ?」

 気配は、ないはず。なのに名雪の視線が動かない。

 気になって隣に目をやると――――