03. 悪夢の場所 -MORGUE-
[ 03. 悪夢の場所 -MORGUE- ]



 白面がぽっと浮き上がった。ゴシック女が俺の顔をのぞき込んでいた。
 声をあげようとした瞬間。
 ジャスミンの強い芳香が眼の前を覆っていた。

「お客さま」

 先んじてゴシック女が口を開く。

「灰雪館へ、よウこそお越しくださいました。水瀬名雪様、相沢祐一様。この館の主人が歓迎しております。ワタクシは御客様を案内する役目を仰せつかりました、町と申します。御見知りおきを」

 そう言って楚々と一礼する。
 意外にも澄んだ声音だった。けれど何カ所か韻を外していたり、語調の上下が狂っているあたり、彼女は異国の出なのかも知れない。
 外見は俺たちよりも年上。十八、九ぐらいか。
 病的に白い肌。面長で小さくまとまった顔と異様に細い手足。
 和人形のように前髪が額の半ばでまっすぐに切りそろえられ、後ろ髪が腰まで伸びていた。
 所々に白いレースがあしらわれたドレスがメイド服なのだと気が付くまでに、かなりの時間を要していた。

「これから主人の元へ導きますので、ワタクシから離れないようにして下さいませ」

 町、と名乗ったゴシック女が廊下の奥へと身体を向け、俺たちを無視してずんずんと歩いていく。
 愛想もへったくれもなかった。物言わぬ背中が俺たちに無言を強要しているように思えた。
 あっけに取られていた俺は、説明を求めて名雪へと目をうつした。

「町さん行っちゃうよ」

 とだけ言って名雪は俺に消えゆく町の背中を追おうとしていた。

「おい、待てよ」
「見失っちゃったらダメなんだよ。町さんはシステムの上位だから、一緒にいれば下位のアンデッドは寄ってこない。だから急ごうよ……」

 システム? コミュニティの防衛プログラムの事を言っているのか。
 だとすると、あいつらは門番で異物である俺を排除しようとしたのか。ならば、さっさと門扉に追い返すか、殺してしまえばいいものを。ハウス・オブ・デッドじゃないんだ。プログラムを組んだのは余程悪趣味な奴に違いない。
 顔を上げると町の背中はほとんど見えなくなっており、名雪の姿も半ば陰に隠れていた。
 すると、

 ジジジジジジ……、

 という妙な音が聞え始めた。
 どこから発せられたものなのか、周囲に注意を配ったが気配無く、名雪の姿が見えなくなるにつれて徐々に大きくなっていた。
 左右に視線を這わせても変化はない。
 ゆっくりと歩き出しながら、先を行く名雪に声をかけた。

「なあ」

 均等に配置されたナトリウムランプに目をやりながら続ける。

「さっきから変な音するんだけど。蝉の鳴声みたいな」
「えっ?」
「あのゴシック女の姿が見えなくなってきたあたりから聞えてくるんだよ。ここってよくそう言うことがあるのか?」

 早足になって後を追いかける。
 名雪は歩をゆるめると、口元に指を置いて考え込むような素振りを見せた。
 しばらくして廊下の突き当たり、実際には十五メートル程奥でゴシックドレスが、ぼぅ、と浮かび上がる。

「無い、と思うよ」
「本当か?」
「うーん」

 名雪が記憶を探り、どんな音も聞き漏らすまいと耳を澄ませた。
 が、いくら待っても何も聞えてこないらしく、指を離してうろんげな表情を俺に向けた。

「全然聞えないよ」
「そんなはずないぞ。さっきから五月蝿くてかなわないんだ」
「そう? わたしには静かすぎるくらいだよ」
「……確かに聞えるんだ」
「もしかして祐一って感じやすい性質?」

 感じやすい……だって?
 突如感じた悪寒に自分の両腕を抱いた。

「どんな意味で。肌が敏感とかそういう意味じゃあないよな」
「もちろん、だよっ。霊感とかの意味で」
「結構鈍い方だと思うぞ。幽霊なんて一度も見たことがないし、遭ったこともない」
「ふうん。でも、インプラントで体質が変わっちゃうことがあるじゃない。霊感はどうだか知らないけど、確かナノマシンって能力の酷使に耐えられるよう体細胞をメトセラに近づけるんだよね。でも完全にメトセラ化するわけじゃないから、肉体か精神のどこかに無理が出る。髪や瞳の色が変わったり、身体の一部が異形に変わったりする。中には精神に異常を来して狂ってしまったり、幻覚や幻聴が訪れることがあるって聞いたよ。だから、もしかして……って聞いてるの、祐一」
「ああ」

 気のない声をあげていた。
 一向に止まぬ煩わしさ。思い起こすだけでバテてしまいそうな蒸し暑さ。熱風の中に身を置く息苦しさ。
 真夏日の大合唱が聞えてくる。名雪の言を信じるならば、俺にだけ。



 二度右へ曲がり、次は左へ曲がる。さらに左へ、としばらく歩き回るうちに見覚えのある階段がひっそりと佇んでいた。
 切れかかったナトリウムランプの点滅。紫電を迸らせ、記録映像へのスイッチを入れる。
 昨夜の自分。不快になってすぐ目を逸らした。

「こちらへ」

 町が、その階段を五メートルほど通り過ぎたところで停まった。首だけを真横に向ける。
 名雪が止まり、続いて俺も立ち止まる。自然と町の視線を追っていた。
 頑丈そうな赤茶色の扉が壁に埋もれている。
 どうやら後から加えられたらしく、扉の周囲の壁だけむき出しのコンクリートになっている。
 ランプの明かりを受けて、ムラのある山吹色に輝いていた。
 大人四人が余裕で並ぶことができるくらいの幅で、体育倉庫と言ったほうがしっくりくる風情だった。

「今すぐ開けますので、お待ちください」

 町が扉に触れる。
 と、名雪が肩を寄せて耳打ちする。
 
「祐一、驚かないでね」

 俺はきょとんとしていた。
 錠を開けることに驚かなければならないのか、まるで理解できなかったからだ。
 名雪の前に出ながら取っ手に目を凝らす。カードキー用の溝、声紋及び指紋照合器、虹彩照合器などが無いか確かめようとした。
 が、そんなものはどこにもなく、取っ手の脇でわずかに窪んだ鍵穴が、正三角形の各頂点に配置されていたにすぎない。
 三点を同時に回すことぐらいしか思いつかなかった俺は、説明を求めるべく名雪を振り返った。

「どうやって開けるつもりなんだ。あんな細い腕で」
「せっかちさんだね。ま、見ればわかるから」

 あごをしゃくる名雪。要領を得ぬまま顔を戻すと、ちょうど町が腕まくりしていた。
 二の腕まで露わになる。

「有効鍵生成」

 町が呟く。
 と、まるで骨が砕かれたような音。
 町が指を折るたびに聞えてくる。重なって廊下中に反響する。

「第一工程、確認」

 二の腕が裂ける。中から金色の骨が、いや機械部品が姿を現わす。
 続いて肘から下。人差し指と中指の間が割れた。
 割れた部分が四段ずつに分かれて、手首が肘の上にずれこんでくる。パズルを解くように分かれた部品が結合する。
 そして元の場所にスライドし、三つの突起が目にはいった。
 先端には複雑な文様が刻まれている。
 鍵穴に突起を押し込む。

「解錠します」

 突起を引き抜くと、音が沈んだ。
 重苦しい地鳴りめいた響き。扉が壁の中に呑み込まれていく。
 その間に腕を元に戻す町。
 扉が開ききった頃には、町の腕は手首まで黒布に覆い隠されていた。

「これでモルグに入れるよ」

 廊下を照らす白い光。名雪が安堵の息をついていた。



 今まで薄闇の中に、まるで逢魔が時を彷彿させる場所にいたせいか、異様なまでに白い壁と天井に設置された電灯によってもたらされた光の洪水に面食らっていた。
 厚さ二十センチの鋼板を隔てた場所に、病院を連想させるような場所があるとは思っていなかったのだ。
 名雪の言葉によればモルグ、つまり死体安置所なのだそうだが、陰気な雰囲気はまったく感じられず、すがすがしいぐらいだった。
 俺たちが中に入ったのを確認した町が、胸に響く重厚な音を立てて扉を閉める。
 立ち止まって辺りを見回していると、町が俺の隣を通り過ぎ先を行く名雪を追い越してから、優雅な動作で振り返った。
 俺たちの姿を捉えたのかと思えば、おもむろに天井の一角を仰ぎ見て、丸く出張った監視カメラの小さな瞳を凝視する。
 町の白面があらわになり、光を受けた海碧色の瞳がいっそう鮮やかに映る。
 数秒の間、町は瞬きひとつしない。
 その間、俺の視線は屹立した人形に注がれ、幻想じみた優美さに魅入られていたのではないか。
 町が目を背ける。完璧な回れ右。
 すると奥から、カチッと妙な音がしたので、俺は音源の在処を探ろうと注意深く辺りを探った。

「どうゾ、お進み下さい」

 端から見れば挙動不審と見える俺の仕草を無視して、町が進み出した。
 置き去りにされるのだけは勘弁願いたかったので、名雪の隣へと足を急がせた。
 歩調を合わせる間に、再び周囲を一瞥する。壁や床、天井に先ほどの音源がないか、また不特定多数の視線を感じて落ち着いていられなかったのである。
 かろうじて分かったのは、スプリンクラー脇の小さな穴。
 ダミーかもしれないが、おそらくはピンホールカメラが仕込まれているはずだ。
 一定の距離を保って設置された監視カメラは、互いの死角を補い合っている上、首を振って追従して俺たちの姿をレンズに収めている。
 モルグとするには厳重すぎる構えだった。

「誰かに見られてる気がする」

 名雪に顔を寄せて問いかける。
 この施設について知っているような口ぶりだったから、明確な答えが得られるかもしれない。
 案の定、名雪は壁や天井に目配せし、得心がいったのかすぐに俺を見るなり、

「うん。いっぱい目がついてるからね」

 こともなげに答えていた。

「別にやましいことが無いんだったら、気にしない方が良いよ。備えあれば憂いなし?
 過剰防衛な気もするけど、まあ、仕方ないよね」

 最後に目を伏せて、曰くありげなため息をつく。
 完全に死角を消し去ったカメラの数に呆れたかもしれないし、嘆いたのかもしれない。
 名雪の真意を量りかねていた。

「もう少しでお母さんの所につくよ」

 名雪がそう言ったきり、俺たちの間に気まずい空気が流れる。
 状況を打破せねばと考えているうちに、右へ左へ何度も曲がり、さらには階段を下り、壁に描かれた数字を頼りにしなければ地下何階にいるのか分からないほど歩く。
 すでに俺の方向感覚は狂わされ、不安になって哀願するように名雪の顔をのぞき込んだ。

「今、どっちに向かって、何階にいるんだ……」

 弱々しい俺の呟きに、片肘を支え頬に手を当てながら小首を傾げる名雪。

「たぶん、地下三階ぐらい?」
「そっか、三階か……」

 そう言って沈黙する俺。
 乾いた笑みを見せる名雪の両肩を引っ掴み、襲いかからんばかりの勢いで口から泡を飛ばす。

「ぐらい、だって? はっきりと答えてくれ。余計不安になるだろっ」
「じゃあ、四階」
「おい、さっきと数が違うぞ。当てずっぽうに言わないで、分からないなら、わからんと答えてくれ」
「さっきは三階だと思ってたんだけど今は大丈夫。ほら、壁に数字が書いてあるのが見えたから」

 名雪が指さした場所を見ると、壁には黒く「4」と描かれており、数字の前まできた町が俺たちに向き直った。

「奥で主人がお待ちになっております」

 恭しく黙礼する町の左手が導くまま目を動かす。
 視線の先にはスモークホワイトの磨りガラス。
 遠近感のある碁盤目模様に見えるのは、表面に彫り込まれた溝に塗料を流し込んだものが挟まれたあわせガラスによるもの。
 扉に手をかけるよりも早く、町が声をかける。
 彼女は銃把と紙袋を一瞥し、俺の目を正視する。

「相沢様。規則ですので、荷物をお預け下さい」
「ああ、そうだな」

 アリの這い入る隙間無い監視体制をとるくらいなのだ。
 武器類を預かるのは当然の措置だった。ふと手を止めて、むしろ入り口で預かるべきだったのでは、とも考えたが、銃のことを忘れるぐらい取り乱していたことを思い出し、羞恥で顔が真っ赤になった。
 虚勢を張りたいのは山々だが、すべて見られていた。
 消したい記憶がまたひとつ増えてしまったのである。
 名雪に気取られぬよう素早い動作でホルスターを外し、紙袋の中に入れて手渡す。

「これ以外には?」

 町の問いに、俺は首を振って答えた。
 実際、銃を一挺しか持っていなかった。
 注がれ続ける視線。被害妄想でなければ、無感情な瞳の中に疑いの色が垣間見える。
 まさかボディチェックをするんじゃないだろうな。
 多くの場合、野郎には野郎、女には女が武器を所持していないか調べる。
 男が女を調べるという話は往々にしてあるが、その逆は聞いた試しがない。
 それにゴシック女とはいえ、相手は死体。
 なおさら生理的に受け付けなかった。

「では、お入り下さい」

 俺が身構えるのを無視して、町は扉に手をかけ、一気に開け放った。

「御主人様。名雪お嬢様と、相沢様をお連れ致しました」

 町が一礼し機械的な口上を述べ、脇に控える。
 部屋に入った俺たちを待っていたのは白衣を着た女性。
 あと五年、名雪が成長すればこうなるであろう未来予想図。
 扉を閉める町を一瞥し、「ごくろうさま」と声をかける。
 黙礼する町から視線を転じ、懐かしそうに微笑みかけてきた。