01. 再会
街の一角に立てられた窓の無いアパート。住人と思しき化け物たち。
そもそも、彼が足を踏みいれてしまった場所は何だったのだろうか。
ベランダから見た記憶。地下の死体安置所への入り口。
この死体安置所――モルグ――は各コミュニティに一つだけと決まっているのだが、普通街中には存在しない。
前にいたコミュニティでも、居住区から遠く離れた場所にあった。
モルグに運びこまれる死体は寿命をまっとうできなかった人間である。
その多くのアニマは生学的に分解されることなく、生前以上に大地との結びつきを強めてしまう傾向にあった。
怨念となったアニマは土地を穢す。埋葬者をも害為すことがある。
そのためモルグには検屍官と埋葬者、修復者という三つの専門職に従事する人々が集まる。
検屍官とは文字通り死体を検分し、埋葬するか、修復するか判断する役目である。不審な点があればコミュニティに報告する義務を負っている。
埋葬者とは死体を様々な方法で葬る職。常世への送葬者でもある。
最後に修復者。検屍官が埋葬すべきではないと判断した場合、死体を限りなく生前の状態に近づける。
死に化粧や欠損部分の修復の専門家である。また、死体を半死者として再生させたり、生体を半死者に変える魔術的な側面を持つ。
彼を襲ったのはアンデッド、すなわち半死者である。
しかも脳の再生に失敗した粗悪品だった。光によって細胞が急激に劣化する上、彼らの萎縮した脳はアシッド常用者の末期と同じ状態にあり、イエス・ノーといった単純な条件分岐でしか判断できなくなっている。
ほとんどの場合彼らは廃棄されるが、まれに彼らを番犬代わりに使うモルグが存在する。このコミュニティのモルグがそうであるように。
では脳の再生、保存に成功した場合はどうなるのだろうか。
人体にナノインプラントを施した特殊能力者――フラグメント――や企業に、商品として売買するのである。
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うるさい、うるさい、うるさい!
耳障りな奴……。
誰だ、俺の眠りを妨げるのは……? 化け物じゃなかったら何でもいい。
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[ 01. 再会 ]
自分と年が大して変わらないであろう青年が側の椅子に座っていた。
俺がうっすらとまぶたを開けるのを見て、彼は指の腹で眼鏡のフレームを押し上げて、鼻を引くつかせながらうれしそうに口を開いた。
「僕たちは君の無事を歓迎するよ。ちょっと手違いがあったみたいだけど、取り返しがつかなくなる前に対処できて良かった。胃の洗浄もやっておいたしね。でも、本当に災難だったと思うよ。危うく、せっかくのフラグメントを失ってしまうところだったからね。後で担当者に謝罪させるなりやっておくから。
……それにしても意外だったよ。フラグメントである君がパートナーを持っていないとは。てっきりいるものとばかり。あ、訝しまないでくれよ? 失礼とは思ったけど、IDプレートを拝見させてもらったんだ。
最後にパートナーを失ってから今まで、よく五体満足でいられたものだ。これは奇跡と言っていいぐらいだよ。新たな土地、新たなコミュニティ・カノンへようこそ。相沢祐一くん」
首を横に向けると、枕元に折り畳まれた服の上にIDプレートが乗せてあった。
服は洗濯されたらしく清潔な印象を与えていた。そこで俺は部屋そのものが清浄な空気に包まれていることに気が付いた。
彼の他に人がいない。ここは個室で、自分はベッドに寝ている。
その程度の判断しかできないぐらい、ぼんやりとしていた。
俺が呆けたように青年を見つめていると、彼は席を立ってゆっくりと扉に向かった。両肩を大きく揺らしていた。足が悪いのか、びっこを引いている。
ドアノブを半分回したところで、思い出したように振り返った。
「一つ言い忘れていた」
顔を上げて彼を凝視する。よくある黒い瞳であるにもかかわらず、吸い込まれるような酩酊感を抱いた。
「銃はこちらで預かっているから、あとで取りに来てくれ」
彼はそう言い残して部屋を去った。
酩酊感が脳から身体へと浸透していく。彼の眼力は常人の放つものとは明らかに異なっていた。
が、どう説明すればいいのかわからなかった。
時間が経つにつれて頭の中のもやが晴れていって、意識が徐々に鮮明になっていく。
布団を除けて全身の傷を確かめた。
ナノマシンが正常に働いているらしく外傷はなかった。ただ臀部に鈍い痛みが残っていた。
IDプレートの照合面に指先を押しつけた。皮膚組織に含まれたナノマシンの比率を調べる。
程なくして表れた数値は正常そのものである。
フラグメントの身体は特殊なインプラントと融合している。
インプラントが生成するナノマシンによって能力が活性化し、常人離れした力を発揮することができる。
俺の場合は外傷に対しての治癒能力が強化されている。
逆にナノマシンの生成が不安定になると、急速に細胞の劣化が進み人間の営みすら困難となる。そして最悪、死に至る。
安堵と共に、あの夜の記憶が甦った。臀部がじんわりと疼いた。
枕元にあった銀色の洗面台を乱暴に手に取る。
身体の感覚が正常になるにつれて、ナノマシンによって記録された映像が記憶を補完しながら脳内を駆けめぐった。
「お願いだ。記録を消去してくれ!」
叫んでいた。
なんて、おぞましい行為。
記憶が記録され、脳のインプラントに保存される。フラグメント本人は読み取ることは可能であっても書き換えや消去ができないようになっている。
忘却するように努めることもできるが、何の拍子に思い出すかもわからない。
どうしても消したい場合はナノマシンを扱う脳技師に依頼しなければならなかった。
この場に脳技師はいない。彼らは大帝都にしか存在しなかった。
加えて、施術に必要な金銭を持っていなかった。
俺がこの街に来たのは秋子さんに呼ばれたこともあるが、何より年に一度、全コミュニティをあげて行われる利権闘争に参加し、賞金を得るのが最たる理由だった。
フラグメントとパートナーを一組として、一つのコミュニティに対して三組が出場できる。
秋子さん曰く、三組目が決まっていないので俺を呼んだらしい。
だが――――。
泣きそうになった。胃の辺りから締め上げられるような痛みがして、次いで吐き気を催した。
洗面器に顔を突っこみ、吐き気が通り過ぎるのを待つ。
「……――イ!!」
そのとき扉の向こうで、誰かが俺を呼んだような気がした。
慌ただしいなと、思いつつ通りすぎるまでの間、洗面器の中心を凝視していた。
腹の中には何も残っていないはずなのに、胃から食道へ、食道から喉へ駆け上がっていく感覚は途方もない現実だった。
食べ物を飲み込むときのように食道への入り口が広がる。そして逆流する。出てきたのは唾と空気だけだった。
足音は部屋の前で止まった。
「……こだよ。ね、香里!」
外から女のはしゃいだ声が聞こえてくる。相方がいるようだが、話をする気配が一向になかった。
ドアノブが回り、おっかなびっくりといった風情で扉が開かれる。
俺は慌てて顔を上げると、唾液の詰まった洗面器を背後に隠していた。
姿を現した女の子の片割れは青い髪で、昔自分が憧れた人とよく似ていた。おそらく彼女が水瀬名雪だろう。
髪を優雅にウェーブさせ知性的な魅力を漂わせている女の子には見覚えがない。
「……ユウイチっ!!」
名雪が感極まった声を出し、俺の懐へ飛びついてきた。
もう一人の子は名雪の背中に視線をやって、ほっとしたように相好を崩していた。
「祐一、祐一、祐一!!!」
首へ腕を回して、痛いくらいに締め付けてくる。
「待てよ、まず落ち着けよ。いきなり抱きつかれても困るぞ」
「ごめんね。合流地点に行くのが遅れて、それで行ったら祐一の姿が無くて探したんだけど、モルグまでは考えなかった。家に着いたらお母さんが知らせてくれて――」
名雪は自らの失敗を責め立てる。
「なあ名雪。五体満足だったんだしそれでいいじゃないか」
無事とは言わなかった。名雪がどれだけ知らされているのかわからなかった。
髪を撫で付けて落着かせる。良く梳かされた髪は存外にしっとりしており気持ちよかった。名雪は何度も謝ってから、腕を離した。
「ほら、名雪。彼、迷惑がってるわよ」
もう一人の女の子が名雪の背中をさする。今頃になって女の子の甘い体臭に気がついた。やはり心地よかった。
「……あなた、変なこと考えてない?」
険のある声音だった。
まさか、鼻の下を伸ばしたことを見とがめられたのだろうか。
「な! そ、そんなことは、ないぞ?」
しどろもどろになる自分を見て、彼女がくすりと笑った。
「冗談よ。初対面の人にはちょっと厳しかったかしら」
「う〜香里〜。祐一はそこまで手癖悪くないよ〜」
名雪がうなって、そそくさと体を離した。
――手癖。
と呟いて、名雪は先程の自分を行為を思い出して真っ赤になった。
「そうかしら」
彼女が悪戯っぽく笑う。
ふと気がつく。
「な、なあ。ふと思ったんだが名雪……彼女、誰だ?」
「あ。まだ紹介してなかったね――」
「香里、美坂香里よ。名字でも名前でも好きな方で呼んでくれればいわ」
「……んじゃ、香里だな」
フラグメントだ、と言いそうになって口をつぐんだ。
「俺は相沢祐一。南のコミュニティから来た。よろしく」
少し考えてから返答する。
「あーだめだよ、香里。先に言っちゃ。私が紹介するつもりだったのに」
名雪が悔しげに呟いた。
「何言われるかわからないからよ。いきなり変なこと言われたら、困るもの」
「そんなこと言わないよ〜」
「あのね、第一印象って重要なのよ?」
「え? 人間、第一印象で判断しちゃダメなんだってお母さんが……」
言いかけて、失言を取り繕うように口に手を当てた。
そして香里に肩掴まれ、揺すられる名雪。
ぐるんぐるん、と頭が揺れて、名雪が何を言っているのかわからなかった。
もちろん、二人の間に何があったのか知る由もない。
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